【1/5-3/14 @愛知《プレゼントあり》】わが青春の上杜会-昭和を生きた洋画家たち
わが青春の上杜会-昭和を生きた洋画家たち
「大正」から「昭和」への改元は1926年12月25日のこと。翌1927(昭和2)年3月、「昭和」になって初めての春に、東京美術学校(現東京藝術大学)西洋画科を40余名の若者たちが卒業しました。当時の東京美術学校は、西洋美術においては東アジアで最高峰の教育機関であり、西洋画科に在籍したのはこの恵まれた環境で画家を目指すことを許され、洋画壇や美術教育を牽引する将来を期待された者たちでした。
「上杜会」は、1927年の西洋画科卒業生全員(中途退学者も含む)で結成した級友会です。その名称は彼らの母校がある「上野の杜」に因んでいます。各自自由な思想を尊重し干渉しない関係性をモットーに、卒業した1927年の9月には、早くも上杜会第1回展を開催します。在学中に帝展に初入選を果たした者も多く、おしなべて優秀と当初から評され、戦前には岡田謙三、山口長男など10名以上がヨーロッパ留学を経験した他、官展や在野展への参加や結成など、それぞれの道を歩みながら多くは昭和期終盤まで画家として活躍しました。のちに文化勲章受章者を3名輩出したことも(牛島憲之、小磯良平、荻須高徳)、極めてまれなことです。
戦時中は壮年期となっていた上杜会メンバーからは、従軍画家として小磯良平や猪熊弦一郎などが戦地を訪れていますが、兵士として召集された者は多くなく、兵役をまぬがれた年輩層では最も若い年代でした。ただ、そうした世代であるゆえに、混迷する終戦直後においては、時代あるいは若い世代からの画壇や体制に対する変革への強い要求に、40歳代後半から対峙することになります。ここで彼らは今一度画家としてなすべきことを自らに問い直し、洋画壇の主軸を担ったり、日本を離れアメリカなど異国に新境地を求めたり、地方の美術振興に尽力したりあるいは画壇から離れ独歩の道を歩んだりしました。
上杜会展は戦後一時期中断しつつもほぼ毎年開催され、1976年に50周年展を迎えて以降も1994年まで継続しました。ますます互いの活動を認め合い、また交友や消息を確認する場として、緩やかながら確かにつながっていたのです。
彼らの多くは昭和の始まりとともに画家となり、昭和のさなかに生涯を終えました。当時最もアカデミックな美術教育を受けながら、彼らの画業は千差万別です。それらを俯瞰することで、「昭和」という時代における洋画壇の一様と、画家としての彼らの生きざまが立ち現れます。「昭和」からすでに31年、平成を隔て昭和に描かれた彼らの作品を改めてみつめることで、本展が令和の時代を見通すヒントとなれば幸いです。
*上記画像:牛島 憲之《秋川》1934年 熊本県立美術館
2021年1月5日(火)~3月14日(日)
※会期中、展示替えを行います。
【前期】1月5日(火)~2月 7日(日)
【後期】2月9日(火)~3月14日(日)
10:00-17:30(入場は17:00まで)
月曜日(1月11日は開館)
豊田市美術館
(愛知県豊田市小坂本町8丁目5番地1) ⇒アクセス
一般1,000円(800円)、高校・大学生700円(500円)、中学生以下無料
約120点、他書簡、ポスター等資料
青山 襄、石井清夫、犬丸順衛、猪熊弦一郎、牛島憲之、大月源二、岡田謙三、荻須高徳、荻野暎彦、加山四郎、小磯良平、高野三三男、小堀四郎、近藤啓二、島野重之、杉浦俊雄、染木 煦、高島 功、高橋弘二、永田一脩、中西利雄、橋口康雄、菱田武夫、深井修次、藤岡 一、水上信雄、森 達雄、矢田清四郎、山口長男
〈顧問〉藤島武二、岡田三郎助、和田英作、小林萬吾、長原孝太郎
■序 1922-1927
1 結成前夜ー東京美術学校と関東大震災
2 いざ、上杜会結成
■Ⅰ 1927-1936
1 画家としての始まり、パリ留学
2 それぞれの選択
3 帝展騒動と「新制作派協会」結成
■Ⅱ 1937-1945
1 戦時中の制作活動
2 戦争と疎開
■Ⅲ 1946-1994
1 新たな時流の中で 葛藤と開花
2 上杜会再開ー年々去来の花
豊田市美術館、神戸市立小磯記念美術館、中日新聞社
☆本展鑑賞券を5組10名様にプレゼント