旅のフォトエッセイ「Kの方へ」
Kの方へ
写真+文 山本真人(写真家)
幼なじみだったKの通夜の帰り道。午前2時くらいだったか、まわりはひっそりと寝静まっている。ひとりとぼとぼと夜道を歩いていると前方の暗闇から季節外れの蛍が1匹ゆらゆら飛んで来た。するとその蛍はボクの身体をゆるりと一周してまた闇に消えていった。「Kだ」と咄嗟に思った。いや、確かにその日はたくさん酒も飲んだし、かなり酔ってもいた。でもあれはKだった。
あれからもう10年近くが経つ。一度として訪れたことがなかったKの墓へ行ってみようと思った。
Kはけっこうちゃらんぽらんな人間だった。愛煙家で、ギターが上手くて、柔道は黒帯で、そういえばキャバレー勤めのフィリピン人に熱を上げていたこともあった。そういうKとはなぜかうまが合って、パトロールと称して夜な夜な街を徘徊したり、麻雀が好きであの手この手で誘って来たりした。お互い様だが、とにかく遊び惚けることが好きだった。何かにつけて「さすが黒帯を締めるに値する人格者だ」と言ってKをからかったりもした。
高校生の時、一度だけKを含め、仲のよい数人で九州を自転車でまわったことがある。佐伯港にフェリーで入り、そのまま九州を横断し熊本で二手に分かれる。一方は長崎を目指し、もう一方は鹿児島を目指す。そしてまた佐伯港で待ち合わせる。本当に約束した日時にお互いが現れるのか、今のように携帯電話がなかった時代なので互いを信じて旅を続けるしかなかった。結果、無事に会うことはできたのだが、その夜は大いに盛り上がり、いろいろな方に迷惑をかけてしまった。
当時の写真を見返してみるとお互い恐ろしいほどダサい。特にKのダサさは群を抜いていて、むしろ輝きすら放っていた。ポッコリお腹にウエストポーチ。やけにサイズの小さなキャップ。そこからはみ出す天然パーマ。いまにして思えばKの輝きが羨ましい。
やっと見つけたKの墓は小高い丘の頂上付近にあり、ボクらが生まれ育った街や港を見渡すことができた。その墓の前に立ち、過ぎ去った時間に思いを馳せる。心地よい喪失感と儚さが心を満たした。ふと空を見上げると気持ちよさそうに鳶が2、3羽、宙を舞っている。秋とは思えない暖かい陽のなかで鳶の鳴き声だけがこだましていた。
Masahito Yamamoto
写真家
1967年 高知県生まれ。
1998年『足摺岬』(東京・コニカプラザ/アントワープ、ニーベル〈ベルギー〉)。
2004年『Fill In The Blanks』(横浜・ライトワークス)など、個展やグループ展を開催。主な出版作品に『殺人現場を歩く』、『殺人現場を歩く2 undercurrent』(ミリオン出版刊)など。現在、自身の作品集出版を計画中。
建築系学生のためのフリーペーパー「LUCHTA」2号(2007年11月25日発行)より