[連載]「旅の追憶」建築家がすすめる見に行ってほしい建築06|慶野正司
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憧れのバルセロナ・パビリオンを訪ねて
洋食器工場の家業を継ごうと工業高校機械科に入学した50年前。その1970年代は日本の高度成長期の終盤であり空前の建築ラッシュでもあった。そんな時代に触発され、そもそも「もの」を作ることに興味があった私は意をけっして大学建築学科に進学した。
当時、建築学科では真っ先に学ぶのが近代建築の3大巨匠(ライト、コルビュジエ、ミース)である。その目にする建築写真の全てが建築に対する一般的概念とは大きく異なり、特にミースの「ファンズワース邸」や「バルセロナ・パビリオン」には『これが建築なのか!?』と強い衝撃を受けた。壁版と屋根版とガラス、これしかない!こんな少ない要素だけで建物ができるのか?しかも心地よさそうな空間が成り立っている様には魅了され、こんな建築に触れてみたいと衝撃にかられ建築の魔界にはまっていったことを思い出す。
大学卒業後、建築にのめり込むきっかけとなった「バルセロナ・パビリオン」をなんとか見たいと思いつつも、1929年バルセロナ万博終了直後に解体されており、当時それは叶わなかった。しかし、建物の価値を訴える建築家グループによって1986年に再建され、現在はミース・ファン・デル・ローエ記念館として公開されている。やがて時が経ち、ついに念願かなって2015年2月にようやく訪れることができた。
夜バルセロナ到着後、翌日真っ先に向かった。パビリオンは「モンジュイックの丘」入り口の広場の一角にあり、目的地へは地下鉄で容易に辿り着くことができた。万博当時と同じ場所に再建したとのことであり、取り組んだ方々の意識の高さがうかがえる。向かう道中、まるで憧れの人に出会うような高揚感があったのは言うまでもない。『あっ!あれだ‼』トラバーチンの基壇、緑の大理石壁、水平屋根版で構成された端正な表情で佇んでいる姿が見えた途端に歓声をあげながら小走りに近づいていった。やはりどこから眺めても美しいプロポーションだ。時間が早くまだ開場していないため外観を見回ると想像通りの切れ味良い空間を覗くことができた。やがて受付係員がお待たせしましたとばかりに笑顔で迎え入れてくれた。
モダニズム建築の最高傑作
「バルセロナ・パビリオン」はドイツ人建築家・巨匠ミース・ファン・デル・ローエにより、1929年バルセロナ万博のドイツ館として建てられた。パビリオンでありながら展示品のための建物ではなく、レセプションホールであったとのことで正にパビリオン自体が展示品であったと言えよう。
当時、19世紀以前の建築様式に頼らない現実的な建築をつくろうとする考え方から生まれたモダニズム建築の最高傑作である。建物は水平の薄い屋根を8本の十字形断面のスチール柱が支えており、そこに非構造体の石壁やガラス壁が自由に配置され、内外部にわたって流れる空間を作っている。また「Less is more(少ないことは、より豊かなこと)」や「God is in the detail(神は細部に宿る)」など有名な言葉が示す通り、極限的に無駄なものを削ぎ落しつつ細部にまで拘ったシンプルな建物であり、その魅力は今も全く変わっていない。
空間を体験する
そして…
このように削ぎ落した骨格で空間をつくり、その有機的構成が空間を豊かにするという考え方は今でも変わらず私の建築計画の根底にある。
「バルセロナ・パビリオン」正に私の建築家人生の礎と言える建物である。
バルセロナ・パビリオン
Barcelona Pavilion
スペイン
設計者
ミース・ファン・デル・ローエ
竣工年
1929年
文・写真:慶野正司+アトリエ慶野正司
この連載は、JIA関東甲信越支部広報委員会とLUCHTAの共同企画です。
1957年 1月1日 生まれ
1979年 3月関東学院大学工学部建築学科 卒業
1980年 5月(株)アビナ・アソシエイツ一級建築事務所 共同設立(横浜市)
1984年 2月アトリエ慶野正司 一級建築士事務所 設立
1988年 2月有限会社 アトリエ慶野正司 一級建築士事務所 代表取締役
現在に至る
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