[連載]なにもしない時間のみえない建築04|堀越優希

新しい空間の糸口は、何気ない毎日の生活、いつも通る道にあるのかもしれない。しかしどうしたらそれらが見えてくるだろうか。建築家の堀越優希は、建築設計の傍ら、住まいである東京を中心とした都市の風景画を独自のスタイルで描いてきた。このドローイングは、都市の観察術であり、アンコントローラブルな都市を再構築する介入行為にも見える。これはそんな、建築・都市とどのように向かい合っていけるかを模索する一人の建築家による、ドローイングとエッセイの連載である。

「待機する空間の流動性と遊び」

今回はドローイングの空間表現について書こうと思っていたが、新型コロナウィルスの流行による影響が大きいため、今のくらしから考えたことを書くことにした。
 緊急事態宣言による待機要請を受け自宅で仕事をするようになり、通勤で意識を切り替えるようなタイミングがなくなった。自治体からは保育園の登園自粛要請が届き、0歳の息子と妻が常に傍らで一日を過ごしていることの影響も大きい。家の中で仕事を進めるために、以前の職場や、自宅とは違うふるまいをするようになった。裏返してみると、じつはこれまでの自宅での過ごし方は、かなり固定化されていたのだということがわかった。

自宅待機により、仕事、家事、子供の相手といったまったく違うふるまいが家の中で頻繁に切り替わっていく。このように書くと慌ただしく過ごしているように思われるかもしれないが、実際はその反対だ。移動時間や電話連絡が減り、割とゆったりとした中でそれぞれのふるまいが流動的に切り替わっている。もともと、家はさまざまな機能が求められる空間だが、自宅待機によりふるまいの幅と密度が増したことで、これまでよりもっと流動性が必要になったと感じている。

このように区切りが不明瞭な時間は、連載の第1回に書いた「なにもしない時間」を想起させる。果たして自分がいま仕事をしているのか、家事をしているのか、それとも子守をしているのかわからない、そのどれもしていないような奇妙な時間が増えている。そんな状態に気がついたときハッとして、また「なにかする時間」へと戻っていく。
 都市を散歩しているときのように、自宅の中にあらたな空間の可能性を発見することもある。気分転換にベランダを活用してみたり、あえて寝室で仕事をしてみたり、邪魔されず昼寝をするためにソファの下に頭を突っ込んでみたりしている。
 ちなみに、大人からすると、0歳児はずっとなにをしているのかわからない時間を過ごしているように見える。気ままな流れのままに生きているようだが、日々できることを増やし、行動範囲を広げる様を見ていると、どうやらその「なにもしない時間」の中で発見を得ているらしい。

大人や少し大きな子供にとって、自宅の空間には限界がある。家の外を見てみると、運動不足を解消するためか共用のエレベータではなく階段を利用する人とすれ違うことが増えてきた。近所の防災公園のような広い場所では、目に見えて利用者の数が増えている。都市の空間では、生活の一部が外にはみ出すことで、くらしが成立していたということを再認識させされる。
 都市の中には、人々が集まるコミュニティのための空間から、家までの間にさまざまな段階のふるまいがある。家とコミュニティの中間には、家を出た人が移動するだけではない時間がある。しかし、現在の都市の外部空間の多くは「なにかする時間」へと回収され、「なにもしない時間」ごと受容するような、流動性をもった遊びのある空間が不足している。

こうした問題は、コロナ禍の有無に関わらず、もともと存在していたものだと思う。考えてみれば、昔の日本家屋などはもっと流動性が高く多目的な空間を設けていた。やたらに家具は置かず、間仕切りで可変させ、建具で重層的に仕切り、土間、縁側、庭などの多様な中間領域が家の内外にあった。このような空間は、当時の生活の必要にせまられて生まれた知恵や工夫の集積だ。現代の住宅や都市空間も、長い歴史のスパンから考えればまだまだ工夫の余地があるだろう。

いま私たちは、外出という行為にとても意識的になっている。そんなときだからこそ、すまいの延長としての都市空間についても考えてみるべきだろう。繁華街や観光スポットで人が減り、朝の満員電車が緩和されたことに対し、少し大きな公園や街路ではいつもより多くの人々が運動をしたり散歩をしたりしている。いま現在の都市空間には、人々のふるまいの自由度が高い場所に需要が集まっている。この状況がどのくらい続くのかはわからないが、都市がすまいの延長にあることは変わらない。自宅待機から見えてきた流動的なふるまいと遊びのある空間の可能性は、これから中心に据えて考えるべきテーマとなるのではないだろうか。

『中景360-6/Middle Landscape 360-6』

高くて見えない場所から、ときどき地下鉄の通る音が聞こえる。囲われた狭くて静かな場所なのに、この一点からは手足を伸ばすようにして遠くの場所まで感じることができる。

Spherical Image – RICOH THETA

文・画・写真:堀越優希
編集:山道雄太

著者紹介

堀越優希(ほりこし・ゆうき)Yuki Horikoshi Architectural Design
建築家(一級建築士)/1985年東京生まれ。2009年東京藝術大学美術学部建築科卒業。2010年リヒテンシュタイン国立大学留学。2012年東京藝術大学大学院修了。石上純也建築設計事務所、山本堀アーキテクツを経て、2019年独立。主な担当作品に、《Polytechnic Museum, Moscow》《東京藝術大学Arts & Science LAB.》《小高交流センター》などがある。主なドローイング作品に、絵本『家の理』(作画/著・難波和彦、平凡社、2014)、教科書『PROMINENCE』(挿画/東京書籍)、音楽CDアートワークなどがある。
https://yukihorikoshi.tumblr.com

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