[連載]なにもしない時間のみえない建築03|堀越優希
「リヒテンシュタインの山と森」
リヒテンシュタインは、スイスとオーストリアの間にあるとても小さな国だ。首都のファドゥーツにはスイスのチューリッヒから電車とバスを使い2時間ほどで行くことができる。この辺りにはライン川の上流と、アルプスの山々に囲われた美しい風景が広がっている。国の形はライン川に沿って南北に長く、川を国境に対岸はスイスとなる。
私は10年のほど前に、大学の交換留学で1年間この地に滞在した。東京で生まれ育った自分にとって、国のほとんどの様子を見渡すことができるような土地での生活は未知の体験であった。1年という時間は微妙な期間で、本当の生活をしたというにはあまりに短いが、旅行と言うには少し長い。今回は、この間に起こった風景に対する感覚の変化について書きたいと思う。
リヒテンシュタインは、高いところで標高2000メートルにも達する山脈が南北に走っている。そこを境にして、市街地とライン川のある西部と、山間部の東部に分かれている。リヒテンシュタインに到着してから3日間は、西側の中心地をひと通り歩き周り、川から市街地のおおよその様子を見て回った。
それから1週間が過ぎたあと、地図を入手して東部の山側へ行く計画を立てた。ハイキングの要領で高低差と距離から大体の到着時間を予測し、ある程度の準備を済ませて東端のマルブンという集落を目指し歩き始めた。
中心市街を見下ろすリヒテンシュタイン侯の居城であるファドゥーツ城の脇を抜け、ベルク通りという道を進んだ。ベルクとは山という意味で、この道はやがて森の中へと入っていった。
まったく人気のない森の中をしばらく歩いていると、次第に不思議な違和感を感じ始めた。自分がなぜこんな遠い地で一人森を歩いているのか、そういう根本的なことについての違和感だ。だがそれは不安なのではなく、むしろ開放感にあふれた清々しい気分を伴うものだった。森の中で完全にたった一人となったとき、この場所にいるのだということに、急に実感が湧いたようだった。
その時、東京の自室を出てから1週間、どこか観光客のような気分で続いていた日常の気分が初めて切断されたのかもしれない。
森を抜けて少し歩くと、斜面地の住宅地から次第に牧草地帯へと風景が変化した。今回は時間を節約するため、山脈を超えずにトンネルから東側へ抜ける計画だった。9月でも底冷えするほど寒く長いトンネルを抜けると、山間の牧草地にコテージが散在するのどかな集落に出た。
トンネルの東側はそれまでの見晴らしの良い雄大な景色とは異なり、山に囲まれたとてものどかな風景だ。小さな湖やポツンと建てられた小さな礼拝堂眺めつつ、丘の上に置かれたベンチでパンをかじりながらひと休みした。
そこから谷間の小川にそった道を抜け、ゆるい斜面をしばらく歩いてくと、マルブンという東端の集落に到着した。そこは小さなスキーリゾートで、いくつかのリフトが架けられていた。夏場に唯一稼働しているリフトに乗ると、周囲の山の高さを超え次第に視界がひらけていった。頂上に到着すると、全周の景色がぐるりと見渡せた。そこは東端の国境に近く、東に見える山々はもうオーストリアの土地だ。
国を徒歩で横断し、一日で東西の国境を目にするというのは初めての経験であった。この東西を横断した一連の体験は、その後の1年間の滞在期間の中で、この土地の生活空間をイメージする際の基礎になったように思う。
寮で朝起きると、部屋の窓から日々刻々と変化するスイス側の雄大な山並みが見えた。まるで美しい風景写真のようだが、外を歩くたびに、必ずその山々が自分の足元から実際につながっているということを目の辺りにすることとなる。日数を重ねるごとに、歩いて横断した時の空間のイメージと、その風景が自分の中で定着していった。
リヒテンシュタインではスイスとの国境を歩いて超えてもいちいちチェックはされない。市街地はライン川を挟み、生活圏としての風景をスイス側と共有している。しかし、同時に山脈によって分けられた、物理的な境界線による空間のイメージも明確に存在している。こうした体験を日々重ねることで、風景の中にある、今まで意識を向けることのなかった大きなスケールの連続性について考えるようになった。
最初の横断からしばらくたった後、リヒテンシュタイン中央の山脈頂部にも登ってみたが、ここでは東西のまったく違う2つ世界を同時に目にすることができた。それは、この土地の生活圏的空間のイメージをさらに補完する体験となった。
それぞれの土地の地形条件によって、日常の中で意識される空間のイメージは異なっている。リヒテンシュタインでは、狭い土地の中で川と急峻な山々によって垂直方向にダイナミックな空間のイメージが共有される。
東京で生活していると、このような大きなスケールで空間を意識することは難しい。地形は建物で覆い隠されているため、自身の足元と遠くの風景は分断される。富士見坂などと名づけられた場所は多く残るが、今でも富士山を望める場所は少ない。普段から、電車や車で高速の水平移動を繰り返していると、連続する高低差のイメージを捉えることはできない。いままで自分が見てきた日常の風景は、小さく断片化してしまっていることに気がついた。
リヒテンシュタインへの滞在以来、それらを再び大きなスケールへと結ぶ、空間のあり方を考えている。
坂道では、自然と自分の足元と遠くがクローズアップされる。それらがひとつの風景として認識されるためには、異質なもの同士を魅力的につなぎ合わせる中間の要素が必要だ。街を染め、窓ガラスに反射する夕日などは、ときたまそういったことを思い起こさせる。
文・画・写真:堀越優希
編集:山道雄太
堀越優希(ほりこし・ゆうき)
建築家(一級建築士)/1985年東京生まれ。2009年東京藝術大学美術学部建築科卒業。2010年リヒテンシュタイン国立大学留学。2012年東京藝術大学大学院修了。石上純也建築設計事務所、山本堀アーキテクツを経て、2019年独立。主な担当作品に、《Polytechnic Museum, Moscow》《東京藝術大学Arts & Science LAB.》《小高交流センター》などがある。主なドローイング作品に、絵本『家の理』(作画/著・難波和彦、平凡社、2014)、教科書『PROMINENCE』(挿画/東京書籍)、音楽CDアートワークなどがある。
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