
【6/18@東京+オンライン】山﨑健太郎×手塚貴晴「52間の縁側を訪れて」|...
入り口がわからない。駐車場で右往左往していると、マネージャーの鈴木さんがお出迎えに来て下さった。雑草生い茂る獣道を分け入ると、水が溜まった床下に出る。池には草が生えていて藻が育っている。懐かしい雰囲気であるが、私たちが慣れ親しんでいる現代日本ではない。ひとしきり柱と梁の構成を愉しみつつ潜り抜けると庭の草が明るい。庭には一筋の井戸水が流れている。粘土質の土でも入れたのだろうか。水は地中に潜ることなく土の溝を走っている。昨日毛を刈られて裸になった犬が親しげに声をあげている。通いの方が連れてきているのだという。縁側に座ってる御三方が犬に話しかけているが、犬は全く話を聞いていない。ヤギがいる。尖らせたツノを振り立ててはいるが親しげに擦り寄ってくる。縁側に上がる。どこが入り口かわからない。「こちらへどうぞ」との声に誘われて部屋に入ると、小さな空間に十人ほどの方々が肩寄せ合って詰まっている。ピアノがあった。「どうぞ」という声に誘われて弾いた。上手く弾けない。しかし拍手喝采。?こんなことなら練習してくれば良かった。ぐるりと見回すと全部笑顔。世の中にはもっと立派でちゃんと廊下も壁で囲まれたデイケア施設が沢山ある。しかしこの人たちは日本のあるいは世界のどこよりもここが一番好きだと思う。そういう幸せがこの軒下には巣食っている。この建物が日本建築学会賞その他の賞を総取りした事には神託がある。事件である。戦後の日本人は立派になろうと頑張ってきた。立派であることが世の中への貢献だと思ってきた。しかし立派であることの度合に際限はない。立派になっても幸せはついてこない。ここには人と分かち合う幸せがある。利用者の方々もそうであるが、何よりこの設計者は幸せであると思う。 (建築家フォーラム 幹事 手塚貴晴)