連載コラム

[連載][修士・院生を追え!]#Final 最後の取材 

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[連載][修士・院生を追え!]#6 模型作成

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[連載][修士・院生を追え!]#5【後編】買い出し

[連載][築地日記] vol.5 『喫茶・愛養の甘いミルクコーヒー』|思い...

“築地考”著者である杉山圭さんによる連載企画第5話です。俺は一体何をしているんだろう…。誰に頼まれた訳でもないのに。そんな風に思う時もあった。場内の喫茶店「愛養(AIYO)」は部外者でも割と入りやすかったから撮影の合間に時々立ち寄っていた。僕:「雨宿りさせて下さい。もうびちょびちょで」マスター:「お?今日も撮影?ひどい雨だねぇ」常連さんが座らないような席を目で探しながらいつものミルクコーヒーを頼む...

[連載][築地日記]vol.4 『コワモテの魚河岸のアニキたち』|思い付き...

“築地考”著者である杉山圭さんによる連載企画第4話です。市場に潜入するも、とてもではない、黙ってカメラを向けるなど不躾なことは出来ない。で、コワモテの仲卸のアニキたちに恐る恐る声をかける。アニキ「おじさん、何で写真撮るの?」俺「え、だってここ、綺麗だから」...

[連載][築地日記]vol.3 『「す組」「魚河岸会」二大巨頭のおふたりと...

“築地考”著者である杉山圭さんによる連載企画第3話です。市場の中の小さな神社で祭事があるっぽい。市場の中には小さな神社があるのは知っていたが、その時はまだよく分かっていなかった。祭事を撮影したく、勢い余って親方風な方に声をかける。最初に声をかけたのが、築地の街を守る「す組」の副組頭。副頭から紹介されたのが市場の重鎮「魚河岸会」の会長..

[新連載][建築道中 膝栗毛]【京都】日本のダーウィンこと駒井卓博士と...

駒井家住宅は、大正末から昭和初期に形成された京都市左京区北白川の閑静な住宅地にあります。京都帝国大学理学部教授であった駒井卓博士の住居として、1927(昭和2)年に建てられました。設計はヴォーリズ事務所によるものです。桜並木がある白川疎水に面し、約30メートル四方の敷地の西よりに建てられ、比叡山が一望される東に庭を広く設けています。主棟は約30坪、木造2階建てで、その北側に5坪程の付属屋と書生部屋として使われていた役10坪2階建ての離れ、温室を有しています。

[新連載][築地日記]vol.2 『喫茶マコのマサコママ』|思い付きが書籍...

“築地考”著者である杉山圭さんによる連載企画第2話です。築地の取材に入る随分前から場外の「喫茶マコ」に時々お邪魔していた。90歳のマサコママは誰に対しても歯に絹着せぬ物言いが超カッコいい。取材することになってから看板メニューの雑煮を食べていると話し始めた。「覚えてて、ここはね、去る時は静かに去るの。お餞別きにさせちゃうじゃない」魚河岸は去る者追わない作法だと教えてくれた...

[新連載][築地日記]vol.1『いざ、築地!』|思い付きが書籍になるまで...

“築地考”著者である杉山圭さんによる連載企画第1話です。わらしべ長者のごとく古いライカを手に入れて「フィルムで撮る(アナログ)=築地市場」という謎の概念から、ランチ以外で初めて“築地市場 場内”へ繰り出した。この一歩。小さなこの一歩が僕の人生にとって大きな進歩となっていくのだった...

[連載]「旅の追憶」建築家がすすめる見に行ってほしい建築06|慶野正司

洋食器工場の家業を継ごうと工業高校機械科に入学した50年前。その1970年代は日本の高度成長期の終盤であり空前の建築ラッシュでもあった。そんな時代に触発され、そもそも「もの」を作ることに興味があった私は意をけっして大学建築学科に進学した。当時、建築学科では真っ先に学ぶのが近代建築の3大巨匠(ライト、コルビュジエ、ミース)である。その目にする建築写真の全てが建築に対する一般的概念とは大きく異なり、特にミースの「ファンズワース邸」や「バルセロナ・パビリオン」には『これが建築なのか!?』と強い衝撃を受けた。

[連載]「旅の追憶」建築家がすすめる見に行ってほしい建築05|鈴木弘樹

私は、城下町で家長制度が色濃く残る田舎町に育ちました。そのような理由で、高校は普通高校には行かせてもらえず、工業高校の建築学科しか受験が許されませんでした。その当時は、外国人など一度も見たことがなく、設計は建築士がするもので、建築家の存在すら知りませんでした。建築学科で勉強をはじめ、世界には有名な建築家がいることやその一人としてフランク・ロイド・ライトがいることを知りました。

[連載]「旅の追憶」建築家がすすめる見に行ってほしい建築04|会田友朗

もともと大学の学部時代に景観工学/風景論の分野から空間デザインの世界に足を踏み入れ、留学先の大学院で建築を修了した私は、旅をするときの目線も「建築」を見る自分と、「風景」を見るふたりの自分がいるようです。寸法を測りつつ素材を観察し、建築の構造やディテールを読み取ろうとする自分と、人々の生活の風景や歴史風土に思いを馳せながら身体で感じることを人一倍大切にしたい自分、のふたりです。

[連載]「旅の追憶」建築家がすすめる見に行ってほしい建築03|市村宏文

大学1年生の西洋建築の講義、ロマネスク・ゴシック・ルネッサンス・バロック・ロココの様式建築が続いていましたが、当時は全く興味がなかったために少しウンザリしていたところ、19世紀末に突如現れたモダニズム。その中で、それまでは絶対に注目されない分類の建物で「工場」が紹介されていました。それまでに知っている工場と言えば無機質な建物で、機能優先でした。当時の最新の材料を使い、細部にまで徹底的にデザインされている建物にすっかり魅せられてしまいました。それが「AEGタービン工場」との出会いで、建築家ペーター・ベーレンス、その後のモダニズム建築やバウハウス、そして「首都ベルリン」を知るきっかけとなりました。

[連載]「旅の追憶」建築家がすすめる見に行ってほしい建築 02|関本竜太...

北欧フィンランドが生んだ近代建築の巨匠アルヴァ・アールトの建築について、皆さんはどう思いますか?よく分からないという答えが返ってきたとしたら、私はその人に強く共感します。アールトはミステリーなのです。 私はフィンランドに留学をして、帰国後に独立をしました。今ではアールトは私にとって目指すべき建築の師のような存在ですが、正直に言うと、学生時代は北欧はおろかアールトにはまったく興味がありませんでした。 大学の近代建築史の授業で、教科書に載っていたアールト設計によるパイミオ・サナトリウムのモノクロ写真を見たときは「団地みたい」だと正直思いました。同じく近代建築の巨匠と言われるコルビュジエやライト、ミースなどと比べても、どことなく垢抜けない印象があったのです。

[連載]「旅の追憶」建築家がすすめる見に行ってほしい建築 01|中澤克秀

1882年着工以来、実に約140年超かかって最後の段階であり2026年に完成予定という。完成されれば今以上に世界中から観光客が押し寄せるでしょう。かく言う私も1985年20歳の大学3年生の時に初めてサグラダ・ファミリアを見ました。まだ「生誕の門」しかなく、今知る全体像が実際に建設されるとは夢にも思いませんでした。この時が私の初めての海外旅行で、建築学生対象にヨーロッパを3週間廻る建築漬けのツアーでした。他にもアテネのパルテノン神殿、ローマのパンテオン、フィレンツェやヴェネチアやパリの街並み、コルビュジエのロンシャンの礼拝堂等、人生の中でカルチャーショックを受けた最初で最大の出来事でした。20歳の夢のような旅行から帰り、ふと振り返ってみると建築家になりたいと強く思うようになりました。元々設計がやりたい、自邸を建てたいとは思っていましたが、それ以上に建築家の存在と建物のメッセージ力に感動して、自分の将来の夢として明確になりました。