インターンシップ奮闘記 in France 1
一度会ってみないと決められない
写真・イラスト・文 橋本尚樹
今春より、フランス・パリのATELIERS JEAN NOUVEL[ジャン・ヌーヴェル設計事務所]にて研修生として働くことになり、現地での生活をこうして伝える場をいただきました。
日々の生活で心動かされた出会いや発見を、現地の空気とともに伝えていきたいと思います。
修士1年も夏が終わりに近づく頃、だれもが呆然と半ば強制的に将来を悩む。選択を迫られているような見えない圧力を確かに感じるようになる。ゼネコンか設計事務所か、はたまた大きく方向転換をする他分野への就職か、僕は自らの将来を描く想像力に行き詰まりを感じていた。「もっと新しい可能性をイメージしたい」、これが渡欧を決意した最大のモチベーションだった。そして、ジャン・ヌーヴェルのアトリエの門を叩こうと決めた。
フランスの設計事務所(欧州の多くの設計事務所も同様だと思う)では研修といっても日本のそれとは少し違っていて、企業が公募するわけではない。ゆえに採用があるかどうかもわからなかった。事務所の日本人スタッフに問い合わせても、昨今の世界的経済不況、フランスの政治事情からEU圏外から学生の研修は難しいと聞いた。どうやらこの山は相当険しいらしい。登るべきか、それとも登らざるべきか。しかし、難しいとは言われても海の向こうの山の向こうの話、簡単に諦めることはできない。面と向かってNOと言われたわけではない、何もせずにあきらめたのでは死んでも死にきれない。セミの声も鳴きや む頃、僕はそんなことをぼやきつつひとり準備を始めた。
ポートフォリオ、履歴書、動機書、それから必要だと考えられるありとあらゆるもの一式、小包に詰め込んで郵送した。
しばらくしてジャン・ヌーヴェルのアトリエから1通のメールが届いた。そこには3行ほどの短い文面でこう書かれていた。
「……have you already plan a trip in Paris or not at all ? In fact, we like to meet the applicants before making a decision. ――パリに来る予定はありますか。一度会ってみないと決められません」。
パリ市内の賑やかな通りから折れた細い路地の突き当りにアトリエはあった。どうもそのあたり一体がアトリエになっているようで、日本の個人事務所とはだいぶ印象が異なる。所員数も200人近くにのぼり、日本でいう組織設計事務所を想像したほうが近い。レセプションでは 2人のスタッフが電話の取り次ぎに追われていた。
面接は、実際には確認程度のものだった。想像したよりも和やかな雰囲気で、人事担当のスタッフと大体30分ほど話しただろうか。ポートフォリオの説明をしたあとは、契約の話だったと覚えている。
面接のためにわざわざフランスまで。確かにそう思われるかもしれない。しかし想像してみてほしい、相手は遠く離れた島国のどこの誰かもわからない異邦人。履歴書の文面だけでは伝わらないものがたくさんある。「飛行機で12時間、そして今ここにいる」その事実が何よりの採用条件だったのではないかと今になって思い返す。メールや電話といったネットワーク通信の発達が、かえって、時間と場所を共有するという最も原始的な対話を、特別な時間に仕立ててくれたのだ。面接のあとのメールのやり取りが、それ以前のものとは見違えるように親密に感じられたのも、単に採用が決まったからという理由ではないように思う。
面接を終えて帰国すると東京の街はもうクリスマス一色になっていた。そしてそれからの4カ月間、僕はフランス語の習得に渡欧の手続きに、まさにあっという間の時間を過ごした。
ハシモト・メモ
1. いきさつ
かねてから日本を離れて生活したいと考えていました。留学という選択もありましたが、先輩から研修という選択肢を教わり、実社会の中に実現する(または実現を前提とする)建築を考えられる環境に強く魅かれました。研修先の決定は、もともとジャン・ヌーヴェルの作品が好きだったことに加え、以前、旅した時の経験からフランスで生活したいという憧れもあって決断しました。2. 準備
例を挙げるとキリがありませんが、研修に先立った準備は、在外経験のある先輩たちの助言に助けられました(それほど日本の常識とのズレを感じました)。まず、事務所に郵送する履歴書ひとつとっても、日本のように顔写真を貼る必要はありません。また、推薦状があると有利とか、現地で何度追い返されてもいいように飛行機のチケットは日程に余裕を持って予約するとか、ポートフォリオを送る運送会社は○○がよい(この根拠については詳しくわかりませんでしたが)等です。先輩たちにほんとうに感謝です。3. 言葉・面接
面接は英語。郵送した書類、ポートフォリオ、メール等のやり取りも英語でした。とは言うものの、これは、僕がフランス語を使いこなせないためにスタッフが僕に合わせて親切にも英語で対応してくれたからです。普段の事務所内での会話は、ほぼフランス語です。
Naoki Hashimoto
1985年愛知県岡崎市生まれ。京都大学時代に、ヨーロッパ、アジア、北南米を旅する。2008年3月京都大学工学部建築学科(竹山聖研究室)卒業。「せんだいデザインリーグ2008 卒業設計日本一決定戦」で「日本一」を受賞。2008年4月~東京大学大学院工学系研究科建築学専攻修士課程(藤井明研究室)。2009年4月よりフランス・パリのAJN(ATELIERS JEAN NOUVEL)にて研修中。平成21年度ポーラ美術振興財団在外研修員。
(写真はChadi先輩と筆者/右)
建築系学生のためのフリーペーパー「LUCHTA」11号(2009年6月29日発行)より